【ネタ】懐の深さ。適当さが許される理由。
ちょっと携帯から懐かしい写真を見つけたマッツ!です。
マッツは伊豆方面にもちょくちょく行く用事がありますが、そんな中ちょっと思わず写メに収めてしまったシリーズから覚書。
今回の思い出写真は「面白い」って意味よりもちょっとした「和み」を感じた写真です。
適当でも、なんとなくわかればいいじゃーん的な。100円のかぼちゃ。
きっと玉ねぎ100円で売ってたところ、売り切れちゃったけどかぼちゃも100円だからここに置いとけば判るよね。的な。こういうのって、良いよね。(ダメ?)
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ある意味偽装表示なのか?
でも、「だます」とか「だまされた!?」とかって事じゃなくて、みんながある意味わかっているというか、お互い見れば判るし的な。
玉ねぎに似ている、もしくは玉ねぎに見えるようなものをココにおいてあったら、ちょっと悪意を感じるが、
そこに生活している人が「玉ねぎ」じゃない事を認識できる。and これを「玉ねぎ」って書いてあるから「玉ねぎ」だと判断する人もいない事を表している。
だからこれが許されるっていうか見逃してもらえる。
これって当たり前っていえば当たり前なんですけど凄いなっと。
こういう事が世間一般に広がっていいわけじゃないし、真似しちゃいけないし、ちゃんとしときなよお父さんって思いますが、、、、
でも、判っている事考えれば判る事をすべて正確に表現しないと生きていけない都会のとは別世界で、みんな色々な事を「普通に自分で判断」しながら、和気藹々と日々生活している懐の深さにちょっとだけ温かみと、逞しさを感じた。
ちなみにこのお店(コンビニだった)は、既にお店をたたんでしまった。決して売り上げが悪かったわけでもなく、昼夜お客が入っていたので、どうしてだろう?
お店の方の体調が悪くなったりしたわけでなければいいなぁ。他に大切な事があって一旦店を閉めたって事にマッツ!の中ではしておこう。っと。
今回はそんなお店があったなぁ!という記憶とその時感じた気持ちを自分のために覚書として残しておきマッツ!。